Fielder vol.29 原始遊戯 ー目次ー

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日々の遊びに太古の技術を取り込めば身近なフィールドが糧になる

ツンドラサバイバルで服部文祥が出会ったチュコト族のミーシャ。ソ連時代の定住化政策を崩壊とともに投げ出し、自ら“遊牧”という生き方へ舞い戻った誇り高きシベリアの少数民族である。当然、彼は自らの手で動物を殺すが、その生活はあらゆる面で日本人の生活より自然に与えるインパクトが少ない。安楽椅子を蹴飛ばし荒野で寝るという彼らの選択は、「生活水準を上げてしまうと二度と元には戻れない」という物質文明に脳味噌までやられた都会派の戯れ言が大嘘であることを証明している。世界は人間の庭じゃない、野生動物は人間が哀れみ守ってやるべきペットじゃない。人間は他のすべての生物と同じく、地球の食物連鎖を繋ぐ、単なる鎖の一部である。

写真/服部文祥


瀟洒な現代生活も未だ自然の手の上

 経済学における労働とは、人間が自然に働きかけて、生活手段や生産手段などを作り出す活動を指す。お洒落なタンブラーを片手に都会を闊歩し、自然とかけ離れたところで動物愛護を訴える人間がいたとして、そのタンブラーや移動に利用したメトロ、美しくキマったコーディネイトや瀟洒なディナーの背景にどれだけの自然破壊、野生動物の殺生が行われているのだろう。いくら現代生活が自然から隔離されていようと、住居も飯も、あらゆる希少資源も、すべては何らかの形で自然に帰着する。

自然を守るのは愛じゃない
我々が存続するための手段である

 だから動物愛護、もとい、動物の保全が必要なのは可哀想だからじゃあない。ホモ・サピエンスが今後も存続していく上で、労働の土台となる自然を安定させるために動植物の多様性を維持する必要がある。ホモ・サピエンスもケルウス・ニッポン(ニホンジカ)もスース・スクローファ(イノシシ)も、それぞれに生き方がある。ホモ・サピエンスには道具を生み出す力があり、それで他の種を殺してテリトリーを広げること自体に負い目はないのだ(ある意味、竿や鉄砲は身体の延長だろう)。野生動物を人間様目線でペット扱いするのはあまりに傲慢だが、ただ、ホモ・サピエンス勝手にやりすぎると自らの首を絞めることになるという話だ。

日々の遊びから習得!?
人間に備わる原始力

 人類が培ってきた技術は大いに肯定したい。それを否定できるほどの原理主義的生活が、道具を生み出せる人類に相応しいとは思えない。とはいえ、労働の根本を忘れて、無自覚な発展を遂げた先に何があるかは疑問だ。今でさえ、都市部の川で獲れた動物を食うのに躊躇してしまう環境である(本誌は躊躇なく食うが、人間は身近な生物を安心して食えないくらい土台を汚してしまった)。だからこの「原始遊戯」では、今一度人間が自然に働きかけて、生活手段や生産手段などを作り出す原始的な活動に立ち返ってみたい。石や木を使い、道具やエネルギーを生み出す等身大の技術。先人がそうであったように、自然にあるものを用いて生きることこそ最も無理なく安定した状態(個体数も)であり、歪みがなく、手に負えない大規模な厄介ごとも引き起こさないのだ。まずは日々の遊びからでよし。我々がいま目を向けるべきは、誰かが儲かる原子力より自分自身の原始力である。

※この記事は2016年8月発売『Fielder vol.29』に掲載されたものです。