Fielder vol.28 野生派宣言 ー目次ー

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金でしか寝床を得られない都会派よさらば
自力で「獲る」「作る」「食う」でいつものキャンプが変わる!

1匹のケモノが街を徘徊している野生派というケモノが。貨幣至上主義のあらゆる権力が、このケモノに対する害獣駆除対策を企んでいる。利権を死ぬまで離さない政治家、流行りを操作して粗悪品を売ろうとする広告、偽りの常識を信じ込んでしまった都市型人間が。今こそ野生派は、大自然を生き抜く知恵と技術をもって金勘定がすべての世の中に示さなければならない。世界経済が崩壊しようと、金で安全が買えない事態に陥ろうと、焚き火で美味い飯を作り、笑っているのは我々であるということを。
写真/亀田正人

人間に必要なのは貨幣か食糧か?

 我々は安定的に食糧を得て、安全な寝床を得るために働く。各々が狩猟採集で生き延びた時代は終わり、食糧の代わりに貨幣を得るようになってもそれは変わらない。すなわち、今でも食糧が狩猟採集や農耕によって安定的に得られ、自分で雨風に負けない屈強な家を建てられるなら、貨幣はいらないのである。まあ現実的にそれが困難であっても、あくまで貨幣は便宜的な価値の代用に過ぎず、それ自体にタンパク質としての価値がないのは明白だ。

それでも架空の価値に踊らされる社会

 ただ、支配的な体制派の中には、その便宜的な価値を逆手にとって悪巧みをする連中がいるのもまた事実である。仕事の細分化が進み、労働の対価が貨幣で支払われるために起こる錯覚。マウスやスマホをいじる生産活動が獲物を殺して食べている実感に繋がるわけもなく、無辜の民に「仕事は幸せを手に入れるために必要なお金を稼ぐ手段」だと思い込ませるのは簡単なのだ。我々は生きるための一手段でしかなかった貨幣をいつの間にか生きる目的に掲げて、恐怖を餌に、トレンドを餌に、簡単に架空の価値の前で踊らされてしまうのである。

なぜか曖昧な労働で家が手に入る社会

 一方で、我々と同じ労働者の中にも、生きるために必要な“原始的な仕事”と貨幣を得るために必要な“曖昧な労働”の差を無意識に利用して生きる者がいる。社内を見渡せば、外部との交渉事より内部からの見え方に熱心なタイプがいるだろう。今日1日に必要な食糧を採集するわけでもない労働内容は思いのほか曖昧であり、「忙しい」「大変だ」と嘆きながら時々さほど必要でもない書類をプリントアウトするだけで、しっかり様になってしまうわけだ。つまり現代社会は、「それっぽい演出」で安定した食糧と安全な寝床が手に入る社会でもある。

何かが違う社会への野生派宣言

 度重なる災害と体制の怠慢により、流され、曖昧なことをして生きる自分に疑問を感じる人間が増えた。今何が必要かと考えた時、一筋の光として我々を照らすのは何物にも代えがたい、野生環境で生きるための知恵と技術だ。何も全てを原始生活に戻す必要はないのである。人間本来の力とは何かを認識し、如何なる時でも自分、家族、仲間と笑って過ごせる自信がつけば、何かが違う社会でも真っ直ぐに歩いていける。

※この記事は2016年6月発売『Fielder vol.28』に掲載されたものです。