【vol.79】記憶の海

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昨年に続き西表島の無人地帯にモリと米を担いで行ってきた。メキシコ取材を纏めた写真集の編集作業で部屋に篭もりきりだったこともあり、梅雨入り前の沖縄の日差しと30kgのザックの重みではじめの数日間は海岸に張ったタープの下で横たわっていた。

西表島の南部は車道が建設されていないため、徒歩や喫水の浅いカヤックでしか辿り着けない手付かずのジャングルがまだ残っている。東京に住んでいた頃は毎年野営道具とジャンベを背負って長期間滞在していたが、2000年秋にパレスチナでイスラエルの国境警備隊に左目を撃たれ失明した後は、リハビリのつもりで西表の蒼く染まった海に夢中で潜っていた。そんな時にでかい真っ青なイラブチャー(ブダイ)を偶然突けたことで、今日の生活に続く魚突きに開眼したのだ。写真を撮る行為と海の中で息を止めて魚を突く行為が、自分の中で言語化できない身体性と重なり合った。

海に潜ってみると、残念なことに大きく発達していた西表の珊瑚礁は海水温の上昇で全滅していた。彩り豊かだった海は大津波に襲われた後のようにモノトーンに染まり、珊瑚の墓場になっていた。圧倒的に少なくなった魚たちを捕獲するのが申し訳ない気持ちになり、突くのは必要最低限にした。滞在10日間で体重は8kg減少し、普段の生活がいかに飽食していたかを再認識できたのは良かった。海岸線を移動しながらわずかな薪と水場を見つけることができれば幸せな気持ちになれた。

最終日は石垣島の仲間と酒盛りの約束をしていたので、西表からの最終便に間に合うよう夜明けに出発したが、地図と携帯は増水した川で泳いだ時に水没させてしまった。現在地がわからなくなり、遠くに見えた久しぶりの人工物を発見すると「早く冷えたビールを浴びるほど飲みたい」と脳内麻薬が激しく分泌した。しかし、満潮の時間帯のために泳ぎと歩きの繰り返しで距離が稼げず、岬を越えた崖の上から泳ぎ、湾をショートカットして横断した。

5kmほど泳いで、集落があると思って上陸した場所は無人島だった。ジャングルを突き進むが、マングローブの湿地帯で立ち往生してしまい、最終便に間に合わないことが確定。それでも集落に辿り着けば商店でビールが飲めると強引に斜面を下っていくと、転落してザックごと身体が木に挟まりぶら下がってしまった。前回、海水を吸った荷物の重みで履いていたギョサンが滑り、岩場で怪我をしてしまった。だから今回はフエルトの沢靴を履いてきたのだが、ジャングルの泥の斜面では全くグリップが利かない。滑り止めに細引きを足に巻いて悪場をなんとか凌いできたものの、やはり斜面では荷物の重みで踏ん張りが利かなかった。

木の間から這い出ると、ザックのショルダーが引きちぎれていたが、まだなんとか背負うことができた。ようやく対岸に集落を発見し、集落の人たちを驚かせないように港の端に上陸。すぐに着替えて小さな商店に行くと、ハーリー(沖縄の伝統的な海の祭り)で休みだった。仕方がないので自販機で炭酸飲料を買うが、あまり美味く感じない。石垣島の友人が心配していると思い、公衆電話を探すも見つからない。集落に全く人影がないので、公民館でハーリーの打ち上げをしていた親切な人に電話を借りて、ようやく友人に連絡することができた。

その晩は、手持ちの食料も食い尽くしたので自販機のジュースで腹を満たし、港で翌朝の始発を待つことにした。
「地図も携帯も水没してしまったことが、逆に今回の旅を自分の持っている能力で乗り切れた実感に繋がってよかったなー」と、50歳を目前に久しぶりの新しい感覚に満たされて幸せだった。

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2002年ガザ北部 イスラエル軍の戦車による銃撃から逃げ出すパレスチナ人たち

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。八丈島在住。パレスチナの写真集でさがみはら2003年写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞を受賞。2013年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。その他『アフリカ 忘れ去られた戦争』『山熊田 YAMAKUMATA』『戦争・記憶』などを刊行している。