八丈で使っている軽トラのブレーキの効きが悪くなり、騙し騙し乗っていたが車体全体もサビでボロボロだったので、仕方がなく中古の格安軽トラを新潟で見つけて買いに行くことになった。暇に任せて僕は本職の漁師なみに海に行くから、車に防錆処理をしても数年で朽ち果てていく。島に越してからこれで4台目の軽トラだ。
八丈から東京に向かう船室は鯨見物をしてきたらしい観光客のおばさん集団が呆れるほどにうるさく、同じ空間にこれから10時間もいるのはとても耐えられそうになかった。見かねた若い船員の兄ちゃんが「注意しましょうか?」と言ってくれたが、それも無粋だなと思い、海風が強いため誰もいない静かな甲板に本と弁当を抱えて避難することにした。
船舶の往来が多い東京湾に入った船は、衝突防止のために減速して航行する。三浦半島に差し掛かった頃、山熊田のまたぎのおっさんたちから突然電話があった。ただでさえきつい方言でわからないのに、酔っ払ってベロベロで、電波も途切れがちだったため余計何を言っているかわからない。
「今日熊狩りに行ったが獲れなかったよ。亀が来ないと獲れないよ。今年はまだ一頭も獲れていない。また来いよ」と嬉しいことを言ってくれているようだった。電波が通じる東京湾に入ってすぐの、すごいタイミングの連絡だなと思いながら、どうせ新潟に行くのだからそのまま軽トラで山熊田に行ってしまうのも手だなと思った。
2年前、熊狩りに一緒に行った折に奇跡的に近距離でクマに遭遇したことをみんなはまだよく覚えているようだった。その時はコロナ禍のパンデミック後、久しぶりに開いたクマまつりもあって大いに盛り上がった。
まつりでは男衆で村の御神木にお参りをした後に、小さめの中ジョッキ2つに並々と注がれた日本酒を連続で一気飲みするのが恒例だ。飲み干した途端に吐き出すも人も出る、反時代的かつワイルドな儀式だ。日本酒は飲み口がいいので案外飲み干せるのだが、飲んだ瞬間に胃の腑がぐわっと熱くなって、「酒ってハードドラッグなんだな」と改めて確認してしまうほど強烈にガツンとくる。
そして、座は急速に盛り上がり、狂乱状態となる。意味もなくみんなが立ち上がってバンザイ三唱が自然発生的に始まり、お互い肩を並べて「一体いくつまで山に行けるかのーー」とみんなが同じ話を何度も確認し合うように大声で叫び合う。
新潟から山熊田に着いたが、久しぶりの山はまだ雪が残っていて寒かった。群生するお土産用のふきのとうをザックに放り込みながら待ち場にいると、向かいの山から3発連続で銃声がこだまする。どうやら無事にクマを仕留めることができたようだ。誰が撃ったのかと僕が尋ねる、いつも通り「みんなで撃った」と獲物をとった手柄をみんなで共有する。クマ肉も山に入った者はくじ引きを引いて、全員で平等に分け合うのが慣わしだ。
みんなで熊肉を担いで沢筋から尾根に上がっていく途中、「65を超えると身体が厳しい」と途中で休むことが多くなった。熊の直腸を丁寧にしごいて洗っていると、ブナの新芽が内壁にこびりついていた。
熊の独特の匂いを久しぶりに感じながら食べた新鮮なホルモンはとてもうまかった。新しく手に入れた格安の軽トラは案の定、融雪剤の影響からドアは錆で穴が開き、助手席ドアの鍵は開かない代物だった。それでも思いもかけず懐かしいみんなに会えて、無事に熊も授かり差し引きゼロで何よりだった。
亀山 亮
かめやまりょう◎1976年生まれ。八丈島在住。パレスチナの写真集でさがみはら2003年写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞を受賞。2013年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。その他『アフリカ 忘れ去られた戦争』『山熊田 YAMAKUMATA』『戦争・記憶』などを刊行している。
木に登ってブナの新芽を食べていた冬眠明けの若い雄グマ