<vol.78>[現生ホモ・サピエンス見聞録]日露戦争・WWⅡ期の武器がドローン撃墜の要になる!? 爆炎シャヘッドハンター

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思い起こせば、2022年3月に本誌YouTubeチャンネルの企画で、パスポートを剥奪されたジャーナリストの常岡浩介氏と子育てでウクライナ取材どころではない私が、茨城県水戸市にあるロシアレストランの「キエフ」へグルメ取材に行ったのが始まりだった。その2か月後に茨城県じゃない方の、ウクライナのキエフに行くとは夢にも思わなかった。あれから3年が過ぎて、気が付けば今回でウクライナ取材は7回目を迎えたのだった。

写真・文/横田徹

戦場ジャーナリスト
横田徹

1971年生まれ。97年のカンボジア内戦にはじまり、東ティモール独立戦争、コソボ紛争など、世界各国の紛争地に立つ。アフガニスタン紛争ではタリバン、米軍の両者に従軍したほか、13年にはイスラム国取材も敢行。これら取材の記録は自身の著『戦場中毒』(文藝春秋)で読むことができる。本誌で掲載したウクライナ戦争ルポに大幅な加筆修正を加えた『戦場で笑う』(朝日新聞出版)が7月20日に発売。

ロシア側住民の実情と映像の新世紀

 2025年3月、ウクライナ北部、ロシア国境に接するスームィに着いたのはキーウを出発してから6時間が過ぎた頃だった。取材の際に運転手を務めてくれるオレグは急用が入ってしまい、フィクサーのボグダンも運転免許証を所持していないということなので、仕方なく私が350キロという東京から名古屋に匹敵する道のりを運転する羽目になった。運転は好きだが、ワルシャワから長距離バスの狭いシートに15時間も押し込められた直後ということもあって、53歳の老体には堪える。しかも、道中にエンストして立ち往生していたウクライナ軍の軍用車両を、廃車寸前のヒュンダイで100キロの距離をけん引するというハプニングもあった。

 街の入り口に設置された検問所で、外国人のスームィ市内への立ち入りが禁止されたということを兵士から告げられた。詰所の横に車を停めて、ボグダンがスームィ市内にいる軍の広報部隊に連絡する。事情を説明すると広報部隊の大佐が治安機関の本部に掛け合ってくれて、特別にスームィへ入る許可を得ることができたので私は胸を撫でおろした。

 広報部隊の本部は、スームィの中心地にあるソ連時代に建てられたレンガ造りの集合住宅の中にあった。車を敷地に停めると、〝大佐〟ことオレクシ・ドミトラシュフシキー大佐と、右腕として大佐を補佐するユーリが出迎えてくれた。長身で頭を剃り上げた52歳になる大佐は、〝高級将校〟の威厳がある。大佐は領土防衛隊広報部隊に所属し、広報部隊が運営するTROメディアを指揮している。スームィでの取材中はここに泊めてもらえるということで一安心した。

 カメラ機材や荷物を部屋に運び込むと、そこには高性能のパソコンが置かれ、兵士とは思えないファッションに身を包んだ若者が映像の編集作業をしている最中だった。到着早々、キッチンに案内された我々には食事が振舞われた。テーブルの上には太いソーセージやローストポークが盛られ、フライドポテトとサラダが添えられており、運転に疲れて空腹だった私は満腹になるまでご馳走を胃に詰め込んだ。

 食後に大佐とボグダンは私の取材スケジュールについて打ち合わせたのだが、ロシアのクルスク州でウクライナ軍が拠点にしていた街、スジャがロシア軍の猛攻によって陥落してしまったということで、我々が予定していたクルスク取材はできないという。せめて国境沿いに配備されている歩兵部隊の取材をしたいと思い、大佐に頼んで知り合いの指揮官に電話をしてもらったが、軍の上層部から取材を受けないようにと通達を受けているという。情勢が悪化しているとはいえ、ここまで来て予定していた取材ができないことに落胆した。煙草を吸いに外に出ると、空襲警報のサイレンが鳴り響き、ドローンを迎撃する対空砲の音が聞こえる。自分はスームィにいるし、まだ1週間の猶予があるのだからチャンスはある。この日は長旅の疲れと時差ボケもあり早めに床に就いた。

 翌朝、キッチンでは大佐がコーヒーを飲んでいた。大佐は私のためにハチミツがたっぷり入ったオートミールを作ってくれた。大佐は炊事、掃除、洗濯を部下に任せるのではなく自分でやってしまうのだ。

 この日は大佐のインタビューを撮ることにする。私のようなフリーランスは〝許可が下りないから取材できませんでした〟という言い訳は通用しない。1日たりとも時間を無駄にすることはできないのだ。私は荷物の重量を減らすために三脚や照明機材を持参していなかったのだが、ここには撮影機材の全てが揃っている。編集室に簡易的な撮影スタジオを作って準備を整えたところで、大佐のインタビューを始めた。

「TROメディアはウクライナ軍の中でも新たな試みで、私はこの機会を逃さないように全力を尽くしました。戦争前に映画監督、カメラマン、写真家、ジャーナリストをしていた者が集まっており、ウクライナ軍の中で最も活動的な広報部隊です」

 3年前に設立されたこのTROメディアは常に最前線で活動し、これまで10本のドキュメンタリー作品を制作し、週に3〜6本の番組を放送している。ミラーレス一眼カメラ、アクションカメラを駆使して撮影し、グレーディング処理でセンス良くまとめられた作品は、軍の広報が作ったとは思えない非常にクオリティーの高いものだ。大佐はウクライナ軍がロシアのクルスク州に越境攻撃を仕掛けた2024年8月から同軍が制圧していた2025年2月まで、拠点となっていた同州、スジャを中心に記録映像と写真を撮影してきた。

「最初にクルスクに入った時に、置き去りにされた高齢者の多さに驚きました。ウクライナ軍が作戦を始めた2024年8月4日以前にクルスクの自治体幹部は真っ先に街から逃亡してしまい、住民に避難の呼びかけをしていなかったのです。ウクライナ軍は住民に対して説明会を開き、ここに留まることは可能だが非常に危険だと伝えました。本格的な戦闘が起きればロシア軍は航空攻撃、砲撃を行って街を区画ごとに破壊する〝焦土作戦〟を行いますから。そして何より驚いたのは住民がウクライナで起きていることに全く無知だったことです。というのもこの20年間、ロシアのテレビ局は『ウクライナは敵国であり、ナチスが平和な街を破壊している』とプロパガンダ活動を行い、恐ろしい話を吹き込んでいました。現地の人と話して思ったのはロシア側の情報源が正しいとあまりにも強く信じていることです」

 大佐たちTROメディアはクルスクの住民に戦争の実態を伝えるべく、写真展を開催し、開戦初期の写真やドネツク州、へルソン州で撮影した写真を住民向けに展示した。特にブチャ虐殺の悲劇を見てもらい、戦争の恐ろしさを理解して欲しかったという。

「残念ながら〝虚偽の情報〟という病に感染した人たちは信じてくれませんでした。『テレビでブチャは舞台化されていると言っていた。あれは全部嘘だ!』 と言われました。写真展の後にドキュメンタリー映画の上映会も行いましたが、多くの人はスクリーンから目をそらし、意見を口にするのを恐れていました。映画の中でロシア軍兵士が民間人を拷問しているところを見ても彼らは疑っていました。他にも兵士たちが洗濯機、テレビ、便器を盗んでいたことを話すと『そんなことがあるはずない』と口を揃えて言っていました」

 当時、ブチャではロシア軍の補給が滞っていたことからロシア軍将兵が飢えに苦しみ、盗難品を食料品に変えていたという。テレビ1台と卵8個を交換したとブチャの住民が証言している。大佐が大人数の鑑賞会を辞めて2〜3人の少人数を対象としたイベントを催し、住民と対話ができる内容に切り替えると「私たちがテレビで見せられたものと全く違っていた」と口にするようになったという。これをきっかけにTROメディアはロシア住民向けにロシア語で様々なニュースをWebで発信することにした。ニュースという言葉はロシア人にとって催眠術のような効果を与えるらしい。

「クルスク州は面積が小さいため、ロシア国内のニュースで取り上げられることはあまりありませんでした。ロシアの元国会議員が『クルスク州を地上から消すべき』と発言したのを聞いた住民は、それが自分たちや自分の家のことだと理解するようになり、政府に見捨てられたということに気づきました」

 ロシアにクルスク州の住民を助ける動きが見られなかったので、ウクライナ軍は彼らに食料と水を提供し、家族や親族と連絡が取れる環境を設けた。発信していたニュースをきっかけに、クルスク州でロシア軍がコントロールしていた地域の住民からも親族の安否確認の問い合わせがあり、600人の安否確認ができたという。祖父母や高齢の親族をケアしてくれたことに対して、TROメディアにも感謝のメールが届くようになった。

 大佐に軍隊における広報部隊の重要性を聞いてみる。

「TROメディアのような軍が運営するメディアはとても重要です。作戦中の地域では民間ジャーナリストたちの行動が制限されるため、我々のように自由に取材や撮影ができません。我々は常に戦闘部隊と共に活動しているのでたくさんのアーカイブを集めることができました。これで将来、我々の子供や孫たちに戦争の事実を伝えることが可能になります。ドキュメンタリー作品は数百年後も生き続けます」

 従来の軍広報部隊に比べてウクライナ軍の広報部隊の注目すべき点は、とてもアクティブでクオリティにこだわりを持っていることだろう。戦争に革命を起こした独自のドローン技術やAIを含めたデジタルスキルを広報部隊は効果的に活用している。報道の世界では発表の場が従来のテレビや新聞、雑誌などの紙媒体からWebメディアやSNSメディアへと変わりつつあり、メディアの産業構造が移行過程にある。最前線で兵士が撮影した臨場感のある映像、軍の広報が製作した玄人レベルの作品がWebで視聴できてしまう時代だ。

 民間のジャーナリストやカメラマンが撮影した映像をきっかけに基地の正確な位置が特定されて攻撃を受けたという事件が起きており、軍にとっても民間メディアに取材をさせるリスクは高く、従軍取材の許可、そして取材した撮影素材の軍による確認は厳しくなっている。今後、戦場取材における民間ジャーナリストの存在意義、そして役割はどうなっていくのだろうか。

 ボグダンはスームィで私が興味を持ちそうな取材先に片っ端から連絡し、取材申請をしてくれているが、良い返事がもらえず私はヤキモキした気持ちを押し殺していた。そんな私を察したボグダンは〝落ち込んだら、これを見ると良い。毎日、彼から元気をもらっているんだ〟と差し出されたスマートフォンで流れていたのは松岡修造のYouTubeチャンネルだった。極寒の湖に腰まで浸かった松岡修造が「あきらめんなよ!」と叫んでいた。毎朝、ボグダンが寝ているベッドから日本語のような男の絶叫が聞こえ気になっていたのだが、絶叫の主がまさかの松岡修造だったとは。予定していた取材がキャンセルになったことで心配させまいと私の前では明るく振舞い、けっして弱音を吐かないボグダンにはいつも感謝している。取材をする上では私がどうあがこうがダメな時はダメなのだ。運が無い時は、結果を黙って受け入れるしかない。

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最新兵器ドローンにはフィジカルな旧式武器で

 第117領土防衛旅団、通称〝シャヘッドハンター〟の存在を知ったのは偶然だった。たまたまユーリが、この部隊を撮影した素材を編集している時に、私が通りかかったのがきっかけだった。それはロシア領内から飛来するシャヘッド・ドローンに対して、旧式の重機関銃を夜空に向けて連射する迫力あるものだった。私はボグダンにこの防空部隊を取材したいと伝えると、大佐の口添えもあり、すんなりと部隊から許可が下りた。

 〝シャヘッドハンター〟はスームィの街はずれに陣地を構えており、私は夜の8時に彼らに合流した。兵士たちが寝泊まりする待機所に入ると、現れたのは巨漢のレスラーのような体躯の男。彼がこの部隊を指揮する35歳のルスランだ。もし酔っていちゃもんでもつけようものなら、一撃で瞬殺されるに違いない。それもそのはず、彼は総合格闘技のMMAで2回もヨーロッパ・チャンピオンになっているのだ。彼に教えられたYouTubeを見ると、かつての試合で相手に突撃し、ボコボコにするルスランの姿があり、この部隊の取材は品行正しくしようと心に誓った。兵士が淹れてくれた美味しい紅茶を飲みながら話を聞くことにする。

 ロシア軍が空爆に多用するイラン製の自爆型シャヘッドドローンは、最長で2500キロの航続距離を持ち、首都キーウを射程に収める。〝小型で安価な巡航ミサイル〟と呼ばれ、多い時には1日で150機のシャヘッドドローンがロシア領内からウクライナに飛来してくるという。対空ミサイルより安価なシャヘッドの迎撃に使用するのは主に機関砲や機関銃だ。

 テーブルの上に置かれたタブレットには地図が表示され、ロシア領内からミサイルやドローンが発射されると画面上に表示される。彼らはその飛行ルートを見て応戦するのだ。この一帯にはスームィの街を取り囲むように約1キロ間隔で防空部隊が外地されている。

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ロシア国内から発射したシャヘッドを国境線で食い止める防空部隊のシャヘッドハンター。もし仕留めそこなった場合、多くの命を危険に晒すことから、24時間態勢で監視の目を光らせる。

 待機所で兵士と紅茶を飲みながら談笑していると、タブレットの地図にロシア領内からシャヘッドが発進して、こちらの方向に向かっているのが表示された。兵士たちは外に出て迎撃の準備を行う。

 防空部隊で主に使われているのはアメリカ軍が第二次大戦から使っているブローニングM2重機関銃だ。ヘリコプターや装甲の薄い車両などに対して使われる旧式の機関銃だが、特筆すべきは機関部に最新のサーマル暗視スコープが装着され、傍らでサポートする観測手のスマートフォンと連動して夜間でも敵機を見つけることができる点だ。夜間でも昼間のように見えるサーマル暗視スコープを使うようになってから、機体の発見が容易になり撃墜率が上がったという。ブローニングM2は12.7ミリの弾を用いて2キロの射程内ならシャヘッドを撃墜できる。

「もっと古い機関銃を使っているから見てみませんか」

 そう兵士に別の陣地へ案内されると、そこには日本製ピックアップトラックの荷台の銃座に2連のマキシム機関銃が据え付けられていた。マキシム機関銃は1884年に世界初の機関銃として開発され、日露戦争でもロシア軍が使用していた。これにもサーマル暗視スコープを装着して、夜間の射撃を可能にしている。

「動いているドローンを撃ち落とすのは難しくないですか?」

「スコープには小さな点となって映るから、高度があると点が小さくなってより狙うのが難しくなる。シャヘッドは雨や雪が降っても飛んでくるからね。以前は低空を飛行していたのでライフルでも撃ち落とすことができたけど、最近では高く飛ぶのでM2のような大口径の機関銃が使われる」

 トラックの荷台に上がってマキシム機関銃の細部を撮影していると、周囲が慌ただしくなってきた。敵機来襲だ。タブレットを手に兵士たちが各々の持ち場に着く。数キロはなれた場所から赤い点が空に流れていくのが見えた。迎撃が始まったのだ。

「くそったれ! 2機がこっちに向かってくるぞ!!」

 年老いた機関銃手はブローニングM2機関銃の銃口を夜空に向けて連射する。銃座の傍でカメラを構える私の身体が12.7ミリ弾の発射による爆音と衝撃波で震える。こんなこともあろうかと、日本から屋内でのライフル射撃練習時に使っているヘッドフォン型のイヤーマフを持参していたのは正解だった。もしこれを装着していなかったら難聴になっていたかもしれない。約1キロメートルおきに設置された防空部隊の機関銃陣地から赤い曳光弾が空に吸い込まれていき、数秒遅れで〝ズダダダダ……〟という銃撃音が聞こえる。遠くにある陣地からの強力なサーチライトが低空を飛行するシャヘッドドローンを探し回る。それはまるで第二次大戦時のロンドンや東京空襲を彷彿させ、青いレーザー光線に向かって曳光弾が飛んでいく様は映画『スター・ウォーズ』や『ターミネーター』で描かれた未来の戦闘シーンを見ているかのような幻想的な光景だった。ドローンと生身の人間の壮絶な戦いが繰り広げられていた。

先端の索敵能力で旧式武器の火力が活きる

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M2重機関銃は第二次大戦中にアメリカ軍で使われ、現在でも世界各国の軍隊で使用されている。陸上だけではなく爆撃機、哨戒艇にも使われた。

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マキシム機関銃はボルトアクション式の単発ライフルが主流だった時代、戦場に革命を起こした世界初の全自動式機関銃。漫画『ゴールデンカムイ』でも登場する。

 戦闘任務を終えた兵士たちは機関銃の機関部に潤滑油を差し、新たなベルト式の弾帯を装填して次の戦闘に備える。トラックの荷台や地面には空薬きょうが散乱しており、皆がそれらをかき集める。日中は穏やかな気候だが、夜になると急に冷え込む。待機所は薪ストーブで暖がとられ、温かい紅茶がありがたかった。

「そろそろシャヘッドがここを通過する」

 休息も束の間、再びルスランの指示で兵士たちは迎撃の準備に取りかかる。私も兵士の後を追ってカメラを手に外へ飛び出した。

 機関銃にとりついた兵士たちは銃口の向きを変えてスコープで索敵する。プロペラ音がどんどん大きくなり、機体は見えなくても確実にこっちに向かってきていることが分かり、激しくアドレナリンが分泌される。私は左手に持った赤色ライトで被写体を照らし、右手のミラーレスカメラで撮影し、プロペラ音を頼りにシャヘッドが飛んでくる方向を見極める。ちょうどトラック上のM2重機関銃を撮影していた私は、MINIMI軽機関銃を手にした兵士が空に銃口を向けて歩き出したのを横目で捉えた。MINIMI軽機関銃を真上に向けて撃ち始めた兵士。一瞬だけ周囲が明るくなり、直後に爆発音が響いた。撃墜したシャヘッドが爆発したのだ。それもかなり近い場所で。

「やったぞ!」

 兵士の歓喜の声が上がる。検証のため、爆発直後にワゴン車で墜落現場へ向かっていた兵士が戻ってきた。荷室には壊れたシャヘッドの500ccエンジンがあった。先ほどMINIMI軽機関銃でシャヘッドを撃ち落としたサーシャに感想を聞く。

「私たちの任務は民間人が住む地域にシャヘッドが入らないように阻止することです。大事なのは誰が撃ち落としたかではなく、撃墜して任務を達成できたことです」

 近くで機関銃から大量に吐き出された空薬きょうをかき集める兵士が、呆れた顔をして言った。

「ここにはジャーナリストが何度か取材に来たけど、そういう時に限ってシャヘッドが飛んで来ないんだ。ジャーナリストが来ると平穏で静かなので我々もゆっくりお茶を飲めて休めるから取材は歓迎なんだよ。でも、あんたが来たら今までにないくらい激しい戦闘が起きた」

 撃墜の瞬間も映像に収めることもできたし、どうやら私の運はまだ尽きていないようだ。

 時間は午前3時を過ぎていた。シャヘッドがこちらに向かっているとの知らせを受けた兵士たちは今夜、5度目の戦闘任務に取りかかる。簡易ベッドで仮眠を取ろうと寝転んでいた私は、カメラを掴んで兵士の後を追って外に飛び出した。

12.7mm 弾の原始的暴力で最先端メカを叩き落とす!

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陸上自衛隊では住友重機械工業がライセンス生産したMINIMI軽機関銃を採用しているが、自衛官の話ではオリジナルのFNハースタル社のものに比べ、弾詰まりが起きやすいという。

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ウクライナでは毎日のようにシャヘッドの攻撃に晒されており、航続距離はキーウも射程内に入っている。将来、日本が戦争に巻き込まれたら、性能を改良したシャヘッドが何百機も飛来することを思うと戦慄を覚える。


 私が帰国した1か月後の4月13日、スームィではロシア軍の市街地へのミサイル攻撃で子供を含む35人が死亡、119人が負傷した。現在もウクライナとロシアの停戦交渉が難航している。ゼレンスキーとプーチンが領土の放棄、完全撤退に関して譲歩するとは思えない。戦争はすでに4年目を迎えたが、今後、どれだけの血が流れるのか私にはわからない。