ニッポンの裏山に冒険はあるのか? 服部文祥が行く垂直の旅

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すぐそこにある裏山に探検の地を求めて戦国時代、泣き叫ぶ赤子を捨てたという大岩壁にぶら下がる危険を冒さなくても充分健康に生きているこの時代に人はなぜ冒険や探検に魅せられるのか。
文/服部文祥 写真/菅原孝司

山の玄人が寄り付かない裏山にこそ探検はある!?

「個人的な冒険や探検なんてどこにでもある。人里から離れた僻地に行く必要などない。たとえば……」

 中央自動車道下り車線、大月手前に車はさしかかったところだった。

「たとえば、あの岩壁のど真ん中に行ったことのあるヤツは何人いる?」

岩殿山の正面壁(鏡岩)が見えていた。我々はいつもの猟場に向かう車中で、探検談義をしていたのだ。

「岩壁の真ん中から街を見下ろしたヤツはそんなにいない、もしかしたら一人もいないかもしれない。ってことは、あそこからの眺めは人の目に摩耗されていない。あの目立つ岩の真ん中に行くのだって、ある意味では探検かもしれない」

 岩殿山は関東近郊では有名なハイキングコースだ。結構大きな岩壁をいくつか有しているが、なぜかロッククライミングのフィールドにはなっていない。

「大河ドラマ真田丸でもやっていたけど、武田家最後の頭主、武田勝頼が自害直前に入城を拒否された岩殿城があの山。450年くらい前の話」

 冒険や探検を今の時代に定義するのはむずかしい。かつては多少危険を冒したり、資金を費やしたりして、未知の地域や人間の新しい可能性を解明するのが冒険や探検だった。もちろん今現在地球に大物の空白地帯は残されていないし、人間の可能性が飛躍的に増大することもない。冒険も探検も、自然環境に対する人間の挑戦から、金儲けやレクリエーションに成り下がっている。よくて、自己表現というところだ。

 それでも、特殊な技量や根性で地理的困難を克服し、何らかの目標を達成し、そこになんとなく歴史の重みが加わると、探検っぽい感じがするのも確かである。だからだろう、たとえば…のつもりで車窓から目についた岩壁の話をしただけだったのだが、編集部はその気になっていた。

 そして、私は岩殿山の山頂にいた。

 鏡岩の垂直探検行を行なうためである。少し調べただけだが、岩殿山の岩は柔らかい砂岩のため、ロッククライミングには適さないらしい。山頂付近の立木を支点にして、ロープを頼りにまずは懸垂下降してみようという目論見だった。

 ところが、お花見のシーズンということもあり、いざ実行するとなるとかなり躊躇させられた。公園の管理人が見たら、とがめられることはほぼ間違いない。私有地ならともかく、公園の天然岩を懸垂下降するのは自由なはずだ。とやかく言われる筋合いはない。それでも目立つところで変なことをしていると、不快に感じる人は多いだろう。それでなくてもクライマーは反社会的な変人だと思われている。わざわざ人目につくところで、奇行をアピールするのは幼稚な暴走族と変わりない。純粋に下りてみたいだけなら、夏の早朝にでもひっそりやるべきだ。

 そんな私の気後れが編集部にも通じたのか、なんとなく、もう1つの候補地「稚児落とし」へ移動することになった。

 よく整備された登山道には、結構な数のケモノのアシがついていた。ロープをザックに入れて西にハイキングすること小一時間。稚児落としが見えてきた。印象的な形状の立派な岩壁である。こっちはかなり山奥だし、赤子を投げ落としちゃうくらいの場所なのだから、オジサンが懸垂下降しても怒られることはないはずだ。

 早速ラインを物色して、ロープを垂らした。懸垂下降はロープにぶら下がるだけで、特別な技術や体力はいらないが、完全に装備に身を預けるため、支点や結び目、ハーネスなどのトラブルは即、大事故になる。簡単にいえば死ぬ。クライミング中の事故も、登っているときより下っている時の方が多い。

間近に街を望む探検の舞台

中央高速道路・大月付近を通ると望むことができる岩殿山は標高634m。高さはそれほどでもないが、側面に張り出た鏡岩は壮大で春は桜の名所としても知られる。かつては甲斐国都留郡・国衆小山田氏の居城とされ、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたという。

中央高速道路から望む岩殿山。主要な幹線沿いだけに、多くの読者がこの山を目にしているのではないだろうか。岩を見れば行ってみたくなるのが男の性である。

当日は桜の絶盛期。平日だが多くのハイカーが歩いていて、どうも鏡岩を下るのは気が引ける。禁止はされていないものの、宮城くんの「那智の滝」が頭をよぎった。

そうして場所を変えた先が「稚児落とし」。かつて織田勢の大軍に岩殿山城を囲まれた小山田一族がその存続を賭けて逃げ出す際、泣き声を出して敵に居場所を教えてしまう赤子を投げ落としたといわれる場所だ。

1つ1つの作業を確実にこなすべし!
懸垂下降の準備

クライミングや懸垂下降などは1つのミスで命を落とす危険性があるので、常に確認やバックアップが必要である。作業中におしゃべりをしたり、何かを食べたりなど、2つのことを同時にせず、1つ1つのことをしっかり完成させてから次の作業に移る習慣をつける。また、仲間同士でも常に確認し合うようにする。公園の石垣など落ちても命には別状のないところで練習するのもよいだろう。

01.装備を確実に装着する

ハーネスの正しい使い方を必ず確認すること。ベルトを折り返して完成するタイプのものもある。これを行なわないと正しい性能が発揮されない。また、小さな落石でも大きな衝撃があるので、ヘルメットはかぶった方が無難である。

下降器とハーネスとの連結や懸垂下降の支点など、重要な場所ではロック機能付きのカラビナを使用する。器具に相性もある。

02.安全なアンカーを作る

クライミングの下降ではいろいろなアンカーがあるが、今回は岩壁を下りて遊ぶだけなので丈夫な樹にスリングを掛けてアンカーとした。ロープの回収を考える必要はないので、アンカーとロープを環付きビナで連結する。ロープの太さは10ミリ、結び目は8の字結び。

03.絡まないようにロープを投げる

岩壁にロープを投げ下ろす。ロープの束を2カ所に作り、上になる部分を先に投げ、1テンポ置いてから下側を投げると絡みにくいと言われている。下に道がある場合など、人がいる可能性がある時は細心の注意を払い、ロープを投げることを大声で知らせてから投げる。

04.下降器を確実にセットする

 

下降用のロープとは別の樹からセルフビレイ(自己確保)をとっている状態。支点は樹の根本からとったほうが強度があるが、このサイズの樹なら、充分な強度があるので多少高くてもかまわない。

ルベルソ
ルベルソを下降器として使用する場合のロープの通し方。下降器がバックアップなしで扱われることがないようにすると、落下を防ぐことができる。ルベルソの方向などで制動力が違うので、熟達してから使用したい。

エイト環
エイト環を下降器として使用する場合のロープの通し方。カラビナは大きい輪に通してギアラックに下げる。ロープを通してからカラビナから外し、セットする。岩壁の中で下降器を落として、青くなるというのはよくあるミス。

※下降器がなくても懸垂下降する術も学んでおきたい

05.システムを確かめてからいざ懸垂下降を開始する

支点とハーネス、連結や結びをチェックしたら、ロープに体重を掛けて下降する。安全なテラスがあったら、下降前に体重を掛けて見るとよい。手袋をすることを推奨する。

必須装備はそれほど多くはない!
懸垂下降の装備

フリークライミングのみならず、急峻な山登りにも多々用いられるテクニックが懸垂下降。ハーネスをつけている玄人はジャラジャラと様々な器具をぶら下げているイメージがあるが、懸垂下降は比較的ベーシックな技術だけに必要な道具もそこまで多くない。ただし、各装備とも必ず説明書をよく読み、まずは熟練者に同行して使用すること。

ロープ
クライミング用を使う。長さは20 ~80mが一般的だが今回は折り返さず1本で使えるシングルロープの60m、40mを用意した。細いと制動が掛けにくいので注意。

ヘルメット&グローブ
垂直に近い懸垂下降の場合、ロープを持つ手が熱くなるので革製の手袋がないととんでもない地獄を見ることがあるので注意。

ディッセンダー(下降器)
左・エイト環、右・ルベルソ。下降器、確保器で、それぞれに得意不得意がある。ルベルソタイプはシンプルなわりに機能が多い。制動が弱いものもあるので注意。

ハーネス
クライミング用のハーネスを使用。植木屋、高所作業用のものもあるが、私は使ったことがない。レッグループも調整できるタイプなら、オールシーズン使える。

カラビナ
用途に合わせていろいろなタイプがある。最近はオモチャもあるようなので、クライミングメーカーでない場合は、強度に注意したい。

アッセンダー(登高器)
これも様々なものがあり、高価である。懸垂下降で遊ぶなら持っていると面白いだろう。木登りなどでも活躍する。大きな獲物を木にぶら下げて解体する時も重宝する。

スリング
テープが縫い込まれてワッカになったタイプ。強度は非常に強い。サイズを変えて数本あると何かと便利である。ロープを切って作ることも可能。

稚児は落ちても山ヤは落ちない
懸垂下降で100mの絶壁を下る

 丈夫な立木を支点にし、システムを充分チェックしてから、ロープにぶら下がって岩壁に切り取られた空間に身を任せる。自分と空間の位置関係が日常生活にはまったくないものに変わる。地面が壁になる懸垂下降の感覚は新鮮だ。要するに怖い。緊張したまま、下を覗き込むと、岩壁の途中にザックが2つ引っかかっていた。黒部の下ノ廊下で懸垂下降して、竿を出したら、大きなイワナがばんばん釣れた、という話を聞いたことがある。懸垂下降で人の行ないところに行く、というのは「お宝」を発見するということなのかもしれない。

 60メートルロープをいっぱいに延ばしてもまだ地面まで30メートルほどの高さがあった。背負っていたロープを繋げて、なんとか地面に降り立つことができた。岩壁の規模は100メートルくらいだろう。ぱっと見た感じ周辺はゴミが多い。上は眺めのいい休憩地なので、ハイカーが落とした食べ物のゴミだ。それでも、おそらく落ち葉を掃いたら、携帯電話やデジタルカメラ、そして赤ちゃんの白骨死体などが出てくるのだろう。

 斜面をぐるりとまわって、壁の上に戻った。ラインを変えて下り、ザックを回収したり、戦国時代の埋蔵金を探したりする。ほとんど人が脚を踏み入れたことがないところにぶら下がっているのは、それだけでちょっと誇らしい感じがしなくもない。

 

ここから街を望んだ者は果たして何人いるだろうか

実は覚えることが少ない懸垂下降のやり方

懸垂下降をはじめたら、完全にロープにぶら下がる。中途半端に怖がっていると疲労するうえに、支点に余計な力がかかり危険だ。下の状況をよく確認しながら、テンポよく下るとよい。ロープの下の一番端は必ず結び目を作っておく。すっぽ抜けて落下する事故はよく報告されている。

いくつかのパターンがある懸垂下降中の停止

1枚目/脚にロープを巻き付けて、簡易的にブレーキをしている。ただ巻きつけているだけなので作業するには心もとない方法である。2枚目/ロープマンを噛ませてブレーキしているもの。ロープマンの替わりに結び目を作っても同じことができる。不意に結び目がほどけると落下するので、結び方に注意。

懸垂下降中にロープにぶら下がって両手を放す方法はいくつもある。これはアッセンダーをメインロープにつけてセルフビレイにしている。

覚えておくと安心な下降からの登り返し

懸垂下降で地面まで下りずとも登り返すことができる。プルージックなどのフリクションノットを駆使しても登り返せるが、アッセンダーがあると便利である。ここも使い方を間違えると大事故になるので注意。写真では見にくいが、腰のところにロープマンがあり、アッセンダーを手がかりに登っていく、垂直以上の角度になると、負荷ややり方も変わってくる。

煩わしいキンクも防ぐロープの運搬・回収法

ロープが絡まっていると解くのに無駄な時間がかかる。吹雪などの場合は死につながることもあるので、ロープはいつでもすぐに使えるように束ねておく。いろいろな束ね方があるが、ここではロープを背負って移動する時の方法。2メートルほどの結びシロを残して、交互に折り返すように束ねる。逆側の末端も2メートルほどになったら、両端を手に持って垂れ下がったところに巻き付ける。2回ほど巻き付けたら、手で持っていた輪っかに通して縛る。残った結びシロでザックのように背負う。

懸垂下降ができればこんなこともできる!?

有名なハイキングコースだけに崖には落し物がちらほら。岩壁の真ん中は特殊な技術と道具を持っていなければ行けない場所なので、当然そのまま放置される場合が多い。今回は崖に引っかかっていたザックを拾い、編集部で持ち主を探して返却することにした。