【vol.71】マリオの死

メキシコの知り合いのカメラマンから、マリオが死んだと突然連絡があった。マフィアの暴力が蔓延するゲレロ州に住んでいたマリオは、2012年に兄が身代金目的で誘拐されてから、各地で行方不明者の捜索を献身的に続けていた。彼はリサイクルセンターで仕事をしている最中に、積み荷の下敷きとなって死んでしまった。メキシコ全土の行方不明者家族と連携して活動していたゆえ、常に脅迫を受けていた彼が死ぬ時は高い確率で暗殺される時だと危惧していた。

マリオと知り合ったのは2017年。仲間のジャーナリストが刑務所から出獄し、ドキュメンタリー映像のディレクターとして彼を取材していたのが縁だった(詳細は本誌Vol・49に掲載したメキシコ・マフィア国家「日常の生と死。」にある)。釈放された仲間に会うために訪れた久しぶりのメキシコは、人の目を気にしない「俺は俺。お前はお前。そして仕事よりも家族」という、人生は楽しんだもの勝ち、明日は明日の風が吹くというラテンアメリカ独自の哲学がキチンと健在で嬉しかった。そして、どこへ行っても必ず野良犬とタコスの屋台がセットで厳然と存在し、それに覆い被さるようにラテン音楽と人々の喧騒が混じり合った活気、混沌に満ちていて懐かしかった。
 当時、アフリカの撮影にようやくケリがついた僕は、再び海外の紛争地で撮影するモチベーションが希薄となっていた。八丈島からたまに東京へ行っても、ギョサンでうろつくおっさんが怪しく見えるのか、時折警察に職質されるぐらいで街全体が過度に管理され、どこへ行っても頭を垂れてスマホを見ている人々の群れにも食傷気味だった。安逸な日本での生活が続き、何を見ても既視感が強く、無感情な心持ちだったが、20年前にはじめて訪れた海外がメキシコだったこともあって、以前の新鮮な気分に少し戻れたような気がして楽しかった。

マリオが住んでいた場所はメキシコシティからバスで5時間ほどのゲレロ州ウィツコという小さな町だ。はじめてマリオと会った日は丁度、彼の一才の娘の誕生日を祝う日だった。家族一同が集まった家でケーキを囲み、笑みを浮かべる彼の姿は幸せそうだった。

街を支配するマフィアは住民に税金を課し、拒否する者は殺される。身代金目的の誘拐はビジネスとして行われ、白昼堂々と誘拐が行われても警察も住民も見て見ぬ振りをする。そしてたとえ犯人が分かっても、報復を恐れて捕まえることはできない。一見するとどこも普通の街並みだが、マリオは「ここの家も誘拐された。あそこの金物屋の主人も確か3回ぐらい誘拐された」と当たり前のように言う。犯人の要求通りに身代金を支払っても、人質が殺害されることは多い。マリオたちは決して夜は出歩かず、郊外にある家は危険なため、仕事場があるビリヤード場の2階に妻と娘の3人で寝泊まりしていた。

マリオは近隣の町で2014年に起きた43人の学生集団失踪事件(メキシコ軍とカルテルが関与したと指摘される誘拐事件)を機に、事件が国際的な問題に発展して遺族たちが立ち上がる姿を目の当たりにし、自身も兄を含めた行方不明者たちを探す決意を固めた。ただ、マリオの元には誘拐された家族が藁にもすがる思いで訪れるが、警察が犯罪組織と一体となった状況で被害者家族にできることは極めて少なく、すべてを運に任せることしかできない。
「犯人を探して罰したいわけではない。ただ自分たちの家族に会いたいだけだ」とマリオは公言し、匿名の情報を元にこれまでに数百体の遺体を探してきた。生活のすべてを投げ打って、山や砂漠を彷徨いながら行方不明者の遺体を取り憑かれたように探し続けるマリオは、まるで死神と踊っているかのように死と共存した狂気の世界に住んでいた。

マリオの家は投光器が設置された金網と鉄条網でできた塀に囲まれている。政府から渡されたパニックボタン(緊急時に押すと警察にすぐに連絡できるシステム)はハリボテのシステムだ。山に捜索へ行くときは必ず犬を連れて歩き、護身用にパチンコを常に持ち歩いていたが、銃を持った相手に対抗するには悪い冗談にしか思えなかった。他者の痛みを自分事として行動する、危険を顧みない同世代のマリオの存在に惹かれ、取材でメキシコに訪れる度に、彼と一緒に行方不明者の捜索へ出かけるようになった。

昨年、コロナ禍を挟んで久しぶりにマリオに会いに行くと、マリオの元妻セシリアが新型コロナで亡くなっていた。マリオは以前のように搜索活動に多くの時間を費やすことはなくなり、別れた妻の元にいた小さな娘を引き取って、妹が経営する廃品回収のリサイクルセンターで働くようになっていた。

マリオは話していても常にスマホばかり見ていて落ち着かず、SNSで知り合った面識もない占い師のチリ人と結婚するので、これからチリに移住するのだと言う。彼との会話はどこか噛み合わず、滞在中はマリオの妹や母親たちと話す時間の方が多かった。

「ここはお前の家なんだからいつでも来てよいのだぞ」とマリオは言った後、「明日の朝も早くに仕事へ行くから」と、かつて営んでいたビリヤード場の昼の暑さが残る床の片隅にマットレスを敷いて横たわった。僕はふと「終わりがない捜索活動を休むにはいい機会なのかもしれない。彼とはしばらく会うことがないのかもしれないな」と思った。

カメラを取り出して、闇の中に肉体が吸い込まれるように寝ているマリオの姿を数枚撮影した。それがマリオを見た最後になってしまった。

マリオの親友ミゲル(2008〜2015年の間に兄弟4人が誘拐された)から「マリオは俺を置いて先に行ってしまったよ。あいつの魂は受け継がれ続ける。俺はまた行方不明者を探す旅に出ることに決めたよ。こっちに来たらお前も一緒に行くぞ」と連絡が来た。昨年、メキシコ政府の統計数だけでも行方不明者数は10万人を突破。失踪者を探す家族への脅迫や暗殺は続き、そして今なお失踪者の数は増え続けている。

山奥での搜索活動が終わり麓の商店に飲み物を買いに行くマリオ。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』『山熊田 YAMAKUMATA』『戦争・記憶』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。