【vol.58】サメと海

身の著書執筆で数ヶ月籠もっていた後に海に潜ると、不思議なことにあまり久しぶりという感じがしなかったが獲れた魚は当たり前のように美味い。獲物を肴に昼からビールという幸せな生活に戻り、しばらくすると耳の中が気持ち悪いので掃除をするとものすごい大きな塊が出てきた。あーなんか毒が出たなと嬉しくなり、思わず連れ合いにもそのブツを見せた。

以前本作りで籠もった後も同じだったと思い出した。海に潜るときは耳抜きをしないと鼓膜が破れてしまう。体の調子がいいときは鼻を摘まなくても顎を動かすだけで耳抜きができる。魚突きに夢中になって耳抜きを忘れ、あともう少しと調子に乗って深場に潜っていくと「びきっ」という音がして鼓膜が破れてしまう。

鼓膜が破れると常に水が耳の中に入った状態となって、ゴロゴロと耳鳴りがしてしばらく不快な状態になる。それでも人間の体というのは大したもので、2週間も大人しくしていれば自然と鼓膜は再生されていく。

僕は片目が見えないため、水中眼鏡はアマさんが使うような視界が広い一眼マスクを使っている。もはやレトロな一眼マスクを使う人があまりいないようで国内では1種類しか売ってないのが残念だ。一眼マスクは視界が広い分、他の二眼マスクよりも内容積が大きいので深く潜ると水圧でマスクが顔に押しつけられ、鼻から空気を出して水圧を押し戻してやらなければいけないのが億劫だ。海から上がると顔にしばらく半円形のマスクの跡がくっきりと残るので、陸地にいるのに「お前海に潜っていただろう」とすぐにバレてしまう。連れ合いには、「歳をとって肌の弾力がなくなったから前よりもマスクの跡が残っている時間が長い気がする」と言われる始末だ。

ところで、魚を突きに行く時にいつも注意することは潮の流れとサメだ。黒潮が流れている八丈は潮が川の流れのように速いので、潜る前に高台から常に流れが変化している潮流を確認するようにしている。

はじめてサメを見たのは石垣島の海で、突然出てきた巨大なサメに水中でうわーと大きな声を上げてかなりびっくりしたのを覚えている。サメの体つきと佇まいは魚というより全身が筋肉のイルカに近い感じで、手持ちのモリでは太刀打ちできる気がまったくしない。宮古島周辺で魚突きの漁師がサメに襲われた話をよく聞いていたので、腰に獲った魚をぶら下げながらパニック気味に全身全霊のフィンキックで浅場のリーフの中に逃げた。

八丈に住むようになってもサメの話は時折聞いていたが、沖縄のイタチザメのように人をかじる奴はいないだろうと思っていた。

ある日、いつものように海に潜っていると、モリの後端につけた15mほどのロープの先に結んだフロートが時折、ツンツンと不自然に引っ張られるような感覚が何度かした。後ろを振り返って確かめるが、その日は海が濁り、ぼんやりとしか水中からはフロートが確認できなかった。

岩に引っかかっている様ではないし、潮に流されているのかな?ま、いいや……と気にせずに泳ぎ続けていると、再び「グィグィ」とロープが強く引っ張られる感覚がした。明らかにおかしい。知り合いの漁師がふざけて船からフロートを引っ張って獲物でも確認しているのかなと思った瞬間、目の前で自分が突いたはずの赤色のアカハタが水中に浮かんだと思うと、ギザギザの歯が並んだ大きな口を開けてサメが物凄い勢いで飲み込んでいた。「グィグィ」の正体はサメだったのだ。

サメはかなり大きくて、この時もシュノーケルを加えたままウワーーーと大きな声をあげてしまった。捕食態勢になったサメはかなり興奮している様子で僕の周りをグルグルと周りはじめた。一番近い陸地は崖地の磯ですぐには上がれそうもない。とりあえずモリのゴムをセットしてサメの方に向ける。

サメに襲われたら神経器官が鼻にあるからぶん殴れという、都市伝説みたいな話をよく聞くけれど、サメの鼻は口の近くにあってとてもじゃないけど無理だ。サメにかじられたときに最後の悪あがきでやるぐらいだ。もうどうしようもない。

近づいてくるサメを何度かモリ先で軽く突いているうちに、サメは少しずつ諦めて離れていったので、それを機に岸に向かって猛ダッシュする。ロープを噛み切られて流されていたフロートも途中で回収できた。

あー怖かったなと落ち着いてくると、現金なことにサメに獲物を全部食われて、今夜食べる魚がないことに気づいた。岸に近くなり、もう大丈夫だろうと簡単に獲れる石垣鯛を突くと、またも後方から物凄い勢いでサメがやってきた。

どうやらサメは水中で視界が効かなくても、匂いや水中の波動を敏感に察知するようだ。こちらも余裕が出てきて「お前はもう十分食ったんだから絶対お前にやるものか」と思ったのだが、サメの圧力が強すぎてモリ先から魚を外すことができない。スイッチが入った状態になったサメの、ヤギのような無表情な目つきが怖い。

「もうダメだ」。素早く魚を外して投げ捨てるとサメは沈んでいく魚を一瞬で咥えて白く濁った深場へと消えていった。その後ろ姿はどこか嬉しそうに見えた。

サメも普段の生活の中では一度に大量の魚を食べるという機会など、あまりないのだと思う。それ以来、ナイフを大きなものに買い換えて海に入る時は必ず身につけるのが習慣となった。

高台からいつも潜っている海を臨む。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。